カンパーニュ・プルミエール通りのアパート
2009年 02月 07日
そういえば、昨日、パリ南郊のソー公園を訪れました。
ソー公園では現在、ウジェーヌ・アジェ展が行われています。ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)が最晩年にソーの町で撮影した写真を集めた展示です。
研究成果の発表でありながら展示も上手い。おまけに無料。
本当は今週で閉幕の予定だったのですが、2月9日まで会期延長されたようです。
ちなみにアジェも、1月8日のジジ・ブログに登場するカンパーニュ・プルミエール通りのアパートで晩年までの長い時間を暮らしました。
美術史的に見ればモンパルナスの芸術家たちが集まったこのカンパーニュ・プルミエール通りは非常に重要な時間性と空間性をもちます。
校長コメント→アジェは、17bisに住んでいたのであの建物ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
ジムインの返答→ハイ、そのとおりです。。
はい、その通りです。。
アジェは同時代においてはむしろ商業写真家で、パリの街中を撮影し画家などに売るための資料写真として商いしていました。
で、カンパーニュ・プルミエール通りのアパート(31bis Rue Campagne première)には売れっ子マン・レイが住んでおり、このマン・レイが、1925年頃、当時アシスタントをしていたアメリカ人のベレニス・アボット嬢(1898-1991)に写真を見せました。このとき歴史が動きます。。
駆け出しの写真家でもあったベレニス嬢、アジェの写真がひどくお気に召し、ボスのご近所までおしかけて、アジェジイチャン、肖像写真を撮らせてよぅ!…と頼みこみました。こんなジジイでいいのかのぉ…と答えるものの、満更いやでもない、というより、若い女の子に(おまけに英語訛りのフランス語で)写真を撮らせてちょうだいよぅ…とせがまれて嬉しくないホトケ・オヤジなどいましょうか。
てなわけでこの歴史的な瞬間の写真も、ソーで展示されていましたが、アジェ爺さん、なかなかの男前です。若い頃に俳優をめざしていたというのが分かる気がします。
この肖像写真の撮影からしばらくしてアジェはなくなるのですが、アジェの死後、アボットは残されたネガを買い集め、1968年にニューヨーク近代美術館に購入させます。これによりアジェの写真は散逸から防がれました。
そんなことを考えると、集住というのも大事なのかな、とか思ったりします。コロニーです。
by korubunochie | 2009-02-07 15:41 | 映画・映像・写真 | Comments(0)

